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![]() Albert Ayler (Sax, Bagpipes) Stafford James (Bass) Bill Folwell (Fender Bass) Muhammad Ali (Drums) Henry Vestine (Electric Guitar) Bobby Few (Piano) Mary Maria (Vocals) A1.Untitled Duet 2.Again Come The Raising of the Sun 3.All Love B1.Toiling 2.Desert Blood 3.Birth of Mirth 4.Water Music アルバート・アイラー、最後のスタジオ・セッションから。アイラーは1936年生まれで、コルトレーンの丁度10歳下。まさか、アイラーに関する最初の言及がこのアルバムになるとは思わなかった。 ロックをやった問題作「ニュー・グラス」と、マグー美術館での「ラスト・ライブ」(傑作)の間にあって、この盤は拙者にとって、捕らえ所の無い、さっぱり分からない、スポッと抜けた真空地帯だった。ただ、盤を持っていただけだ。内容も、残り物の感が強い。 何を思ったのか、気まぐれにターン・テーブルの上に載せただけだったのに、A3に引き込まれてしまったのだ。 A1のバクバイプとジミヘン・ライクなギターのデュオ、B1のギター2本背負ったブルースは、正直、よく分からない。拙者にとって捨て曲だ。 A2、B2の歌ものも、ぴんと来ない。B2で歌うアイラーの声は、何か無理に明るくした感じがして、キツイ。 でも、A3で淡々とテナーを吹くアイラーは、まるで、ラスト・アルバム、「エクスプレッション」でのコルトレーンのように、静かな感動を伴って、引き込まれる。自我が、己の身体を離れて、真上から己を見ているように、とても覚めているけれど、誠実な感情がある。キラキラと背後で軽く弾きまくるボビー・フューのピアノが、儚い夢を彩るかのような感じがするのも、良い。 それに、アイラーの音が良いのだ。野太く聴ける。そして、上手いなあ、と思う。 B3、B4も良い。B4の説得力は凄いものがある。 このカルテットは、やはりアイラーにとって新たな希望だったのだ。 コルトレーンに会った人は、皆コルトレーンに影響されざるを得なかった。ジョー・ヘンダーソンやアート・ペッパーでさえそうなのだから、それは仕方の無いことだ。それ程、コルトレーンの力は強い。でも、アイラーはコルトレーン・ライクな音からは遠くにいた。コルトレーンはアイラーに影響されて祝祭的フリージャズに入って行った。アイラーはコルトレーンの葬式で「真実は行進する」を演奏し、その精神に尊敬を捧げたが、その惹き付ける力の強い「雰囲気」からは身を遠ざけた。そして、理解されにくいアプローチをあえて選び、切り開こうとした。その混乱の中からようやく見えてきた萌芽がここにある。 その芽は、1970年7月のフランス、マグー美術館でのライブで見事に花開いた。しかし、時代や、彼を欲しない力が、彼を抹殺してしまったのだ。何故なのか。70年代という魔物が、アイラーの存在を嫌ったのか。同時期にあった不可解な5つの死(陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に転がった首、マルボロを握ったまま倒れ込んだ女、バスタブに浸かって溺れていた男、そして睡眠薬を少し飲み過ぎて永遠に眠ってしまった男)と同様に、彼の死は未だ謎に包まれている・・・・。
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by jazzamurai
| 2009-01-29 01:32
| 無節操 ジャズ三昧
![]() Carlos Kleiber (conductor) Wiener Philharmoniker Symphony No. 4 in E minor, Op. 98 A1.Allegro non troppo (E minor) 2.Andante moderato (E minor/E major) B1.Allegro giocoso (C major) 2.Allegro energico e passionato (E minor) カーロス・クライバー49歳の演奏。Amazonのレヴューでは絶賛されてますよねえ。演奏が速いとか、「紅葉のワインディングロードをスポーツカーで自由気ままに走り抜ける」とか・・・・。 まあ、色々な意見があっても良いと思うので、拙者のやうな意見も許されると思う、という控えめな感じで切り出しますが、そういう評価と全く逆の印象を持っています。 A面は良いと思うんですよ。第1楽章なんか凄く情熱的で。第2楽章も翳りがちで思い詰めた雰囲気をよく歌ってると思うんです。 でも、何か拙者の考えるカーロス像と異なっているんです。何だか仰々しいというか。カーロスだと思わなければ、とても良いのですが。 んで、拙者にとって問題なのは第3楽章です。他の指揮者の演奏を多く聞いた訳では無いので、他の方の意見もお聞きしたいのですが、第3楽章のもったいつけたテンポの変化がどうも馴染めない。カーロスらしくない。 そのため、もともとあまり馴染めない第4楽章の最後も渦をまいて天に昇っていくような感じを味わえないんですよね・・・・。結局、通して聴いた印象は、1~4まで、頭から終わりまでコッテリした感じに聞こえてしまって、結局すとんと落ちないのです。 皆様は、どう思われます? ブラームス:交響曲第4番
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by jazzamurai
| 2009-01-21 16:11
| 無定見 クラシック三昧
![]() "Newport Jazz Festival", Newport, RI, July 7, 1963 John Coltrane (ss, ts) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Roy Haynes (d) -A1,B1 Western Recorders, Los Angeles, CA, October 14, 1965 Donald Garrett (bcl, b) John Coltrane, Pharoah Sanders (ts) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (d) Frank Butler (d, per) Juno Lewis (vo, per) -B2 A1.My Favorite Things B1.I Want To Talk About You 2.Selflessness 天下の名盤にして、困った迷盤、なんだろうと思う。A1,B1はニューポート・ジャズフェスで成された名演中の名演だが、B2は「オム」や「クル・セ・ママ」等と同時期の過渡期的フリーの演奏で、トレーンよりファラオの方が音が大きいんですよね。インパルス・レコードのプロデューサー、ボブ・シールはトレーンに関してしばしばこういう編集を行うので困る。前にも書いた「ライヴ・アット・バードランド」と銘打ちながらスタジオ録音入れたり、ヴィレッジ・ウァンガードのライブ盤である「インプレッションズ」にもスタジオ録音が入ってるし・・・・。そうそう、何故63年ニューポートでA1,B1と一緒に演奏した「インプレッションズ」を入れなかったのかなあ。オリジナルテイクに入っているたらたらしたマッコイのソロを省いたヴァージョンをA1、「~アバウト・ユー」をA2、「マイ・フェイバリット~」をBに配して、「ライヴ・アット・ニューポート1963」とすりゃ、名盤中の名盤と呼ばれたであろうに。 まあ、B2の演奏が嫌いだ、という訳じゃないので、良いんですが・・・・。 ところで、このA1は最高の演奏ですね。トレーンの「マイ・フェイバリット~」には決定的な演奏が3種類あって、一つは1960年、アトランティックの同名アルバム収録テイク(ドラムはエルヴィン・ジョーンズ)、二つ目がこの盤(ドラムはロイ・ヘインズ)、三つ目が1966年の「~ヴァンガード・アゲイン!」のB面に収められたテイク(ドラムはラシッド・アリ)なのですが、ドラマーが異なります。この三つのテイクに関しては、清水俊彦氏の「ジャズ・ノート」(1981年、晶文社刊)にちゃんと書かれているので、それを見ていただいた方が良いのですが、どのテイクも本当にちゃんと聴く価値のある演奏だと思います。 特に拙者、この演奏は大好きです。というのも、大好きなロイ・ヘインズがドラムだから。(この時期、エルヴィンは麻薬関係で投獄中?だったかしらん。) トレーンとヘインズの組合せは、この曲に関しては、エルヴィンとの組合せより合っている感じがします。他に発掘されているライヴ・テイクを聴くと、エルヴィンは硬いというか、時々息苦しさを感じるほどオンな感じがするんです。ところがヘインズは懐が深くてタメタメ。それに、トレーンを後ろからプッシュする力と気遣いに、とてもインタープレイの楽しさが溢れていると思うのです。でありながら、ソロの初めから終わりまで両者の間でストーリーでも出来ているようにコントロールされていて、弛緩した瞬間は一瞬も無いのです。ソプラノ・サックスがパカーンと開いて高域で持続する時、後ろでヘインズが例のスネアでパタパタパタパタとフィルした瞬間なんぞ、拙者はぐぐっと引き込まれ、最後のテーマが奏でられるまで、息を殺して聞き惚れます。 なお、エルヴィンがアトランティックのテイクでしている演奏は、インド音楽の精神で演奏しているものと解され、ポリリズムを堅実に繰り返すことに終始しており、その後のライヴでされている責め立てる演奏とは違い、あれはとても良い演奏だと思っています。 B1も決定的テイクが3種あります。一つは58年の「ソウル・トレーン」のA2のリラックスした演奏、2つ目はこの盤、3つ目は63年10月のバードランド(ドラムはエルヴィン・ジョーンズ)。この中では、この盤のテイクが好きですね。やはりカデンツァに圧倒されます。もうホンマに凄い。この演奏でのトレーンの優しさと厳しさの絶妙なミックス具合は本当に素晴らしい。管が十分に鳴っており、高度なテクニックを必然として複雑なフレーズを一気に吹き切る様と最後のテーマに帰る時の本当に優しい表情。それが彼只一人の演奏で、タンポの開閉音まで聞こえるほどクリアに聴けて幸福。背後に聞こえる観客の感動のどよめき、口笛、拍手とともに、一緒に感動しています。 B2はトレーンが引っ込んでいてよく聞こえないので・・・・、ゴメンけど省略。何時か書きますが、この辺りのトレーンには、やっぱりアイラーの祝祭的集団演奏の影響を感じます。 名盤中の名盤になり損ねた名演中の名演を、どうか一度、お聴き下さい。 セルフレスネス・フィーチャリング・マイ・フェイヴァリット・シングス
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by jazzamurai
| 2009-01-11 13:28
| 無節操 ジャズ三昧
![]() こんばんは。あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。 昨年末に、「jazzamurai、2008年の10大事件!!」をお送りしようかとも思ったのですが、家を掃除したり酒を飲んだりしているうちに、年が明けてしまいまして、企画はうやむやになってしまいました。しかし何とも記憶力が無く、一体何が事件だったかも忘却の彼方にあり、10も思い出せない、という可能性もあり・・・・。 まあ、昨年の最後の四半期における、拙者の大事件といえば、『モンテ・クリスト伯』でしょうねえ。何せ、前田真宏監督のアニメ「岩窟王」の集中鑑賞に始まり、ケヴィン・レイノルズ監督、ジェームズ・カヴィーゼル主演の映画「モンテ・クリスト伯」の鑑賞、そして原作本の山内訳を一気読みした上で、再度年末にアニメ「岩窟王」を再鑑賞するという、コンプリートDVD-BOXを買ってしまいかねない勢いですから(出来れば、今んとこそれは避けたい・・・・)。 物語の概要については、wikipedia等をご参照下さい。 ![]() 簡単にご紹介すると、「原作「モンテ・クリスト伯」は、「三銃士」「王妃マルゴ」などでその名を知られるフランスの文豪:A・デュマの代表作。1844年、新聞連載から始まった本作は、ナポレオン時代のフランスを舞台に、若き航海士:エドモン・ダンテスが仲間の裏切りにあい、大富豪:モンテ・クリスト伯爵となって壮絶な復讐を行うという大河ロマン小説として発表され、以降フランス国民文学の頂点に立つ名作となった」ということになります。 正直、こんなに夢中になって小説を読み耽ったのは久しぶりですね。めちゃめちゃ面白かったです。粗筋は理解していましたが、結末は原作、アニメ、最新ハリウッド映画の三者とも、全く異なっています。拙者、原作から入らなかったせいか、パラレル・ワールドを全て許してしまえます。つまり、どの結末も結構好きですね。何故なら、原作の設定がしっかりしており、また登場人物が個性的なので、芯を貫いている復讐と慈愛の葛藤さえ描けているならば、幾ら結末が異なった物語が作られようが、全てはデュマの描いた世界が、また外に広げられることになると思うからです。こんなことが許容されうるのは、この物語をおいて他にないのでは。 2800ページに及ぶ大作の中には、派手な大立ち回りはありません。じわじわと宿敵を追いつめる伯爵に派手さはありませんが、それでも古典から近代にわたる幅広い文学の知識とキリスト教精神に裏打ちされたこの物語の、スピード感と凝縮感に、拙者は熱中しました。 『1巻』では、徐々に明らかになるファリア神父の聡明な語りに感動。素晴らしさにスパダの財宝を巡る謎解きと、最終ページのファリア司祭の台詞、「あなたはわしの息子なのだ!」に激しく感動しました。圧倒的絶望の中に閉じこめられた二人の男の魂の出会い。親愛の情が迸るように溢れ出た瞬間に涙が出ました。 『2巻』では、分かっていても脱獄のトリックと緊張感に感心し、ファラオン号の復活に感動して、拳を突き上げました。 『3巻』では、ローマの謝肉祭の描写にウットリし、音も立てず約束の時間ぴったりに現れた伯爵の登場シーンに虚をつかれ(ここのシーンはアニメが上手く表現していた)、初めは高飛車な対応をしていた金の亡者ダングラールが伯爵に飲み込まれていく姿に笑い、いきなり伯爵の言葉の真剣を斬りつけられた検事総長ヴィルフォールの否定のための否定のような毒舌に辟易しました。 『4巻』では、原作のエデはアニメのエデよりずっと美人だと思ったり、ヴァランティーヌとマクシミリアンの歯の浮くような長い会話にうんざりしたり、テレグラフ=「腕木通信」を用いた「文学史上最初のネットワーク犯罪」のシーンに感心したり。問題のオートイユの別宅でのちょっとサスペンスがかった展開では、追い込まれていくエルミールを逆に可哀想に思ったり。 『5巻』では、ダングラールが株に失敗して追いつめられていきます。舞踏会での伯爵とメルセデスの無言の再会と、メルセデスに誘われて踊るため彼女の腕をとるシーンの抑制された表現に感動しました。そして、エデの語る過去の悲惨な物語と怒りに同情し、思わぬ所から2つの魔の手に襲われようとしているヴィルフォールには、敵役ながら可哀想に、と思ったりしました。 『6巻』では、伯爵とアルベールの最後の旅の儚さが描かれ、そして、その父モルセールの裏切りに満ちた過去が暴かれます。怒ったアルベールが伯爵に求める決闘と、メルセデスにせがまれて苦悩する伯爵の感情の揺れ動きの表現に感動。そして、モルセールは最初に地獄に堕ちます。 最終、『7巻』では、死んでしまったヴァランティーヌと、軍人のくせに女々しいマクシミリアンに困ったり、破産しかけのダングラールから500万フランをひったくる伯爵の冷酷さに恐れ入ったり。暗い情熱のみが成し遂げられる致命的な方法によって、ヴィルフォールが陰惨な過去を暴かれ、同時に大事なものを奪われるさまに恐怖しました。 そして、ここにおいて、伯爵は重大な失敗を犯します。復讐に全く関係の無い人間を死に至らしめてしまい、「復讐の権利をはるかに踏み越えてしまった」ことにより、「神われにくみしたまい、神われとともにいます」と言うことができなくなってしまったのです。この部分が重要です。伯爵はメルセデスに言います。「いっさんに宙を飛んで、目指す目的へと達したのです。たまたまそうした道の上で、わたしと出会ったものこそは、まさに災難だったと申せましょう」と。この反省を拭くんだ台詞が単なる勧善懲悪の物語と異なるこの物語の含蓄であり、同時にひょっとすると強者の理屈を生み出しかねない、キリスト教的精神の解釈を巡る、とても危うい部分なのだと思います。 そして、剣先の鈍った伯爵は、最後に残った相手、ダングラールに復讐を成すために、観光名所となったイフ城に赴き、かつての復讐心を研ぎ光らせ、それを成し遂げます。 そしてラストに至る訳ですが、このラストはちょっと拙者にとっては、「え゛」って感じでした。なんか素っ頓狂というか・・・・。だから、複数のエンディングがあって良いじゃないか、とも考える訳ですが、兎に角、本書最大の問題発言である、「かわいいやつめ!」以下略には膝かっくんでした。 まあ、その様な波瀾万丈の物語ですが、大ざっぱな粗筋だけでもお腹一杯になるのに、細部の書き込みが凄いから、再読にも耐えますし、まあ、ホンマに凄い面白いので、また読んでみて下さい。長いのを読む自信が無い方には、プロレスエッセイでお馴染みの村松友視氏がまとめた「世界の冒険文学〈15〉」講談社がお奨めです。エッセンスがぎゅっとつまって、これも面白かった・・・・。 それでは、お約束通り、伯爵の名台詞でしめましょう。 「待て、しかして希望せよ」(←中田譲治さんの声で四六四九。) モンテ・クリスト伯〈1〉 (岩波文庫)
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by jazzamurai
| 2009-01-06 01:17
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