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![]() 最近、ちょっと不調。目的と手段の逆転、実態を省みない解釈の押しつけ、意見の共有ではなく言葉尻を捉えて否定にかかる攻撃などに、うんざりする日々を送ってます。 しっかしまあ、元から賛否両論を恐れない人なんだと思うけれど、撮る毎に否の方が増えてないか心配になる押井守監督作品。同時期放映の「崖の上のポニョ」と比べられたら、そりやキツイわなあ・・・・。 しかし、なんでこんなに後味の苦い作品ばかり撮るのかなあ。よっぽど精神力が強くないと、こんだけキツイ映像群をこんだけのクォリティで次々と送り出すのは難しいと思うけど・・・・。 ここで描かれているのは、植え付けられた戦闘テクニック、あやふやな記憶、戦争はビジネスだという価値観だけを朧気なアイデンティティとして戦う若きクローン?達の現実感の無い日々の記録。だから、クサナギ・スイトだろうが、カンナミ・ユーイチだろうが、クリタ・ジンロウだろうが、過去の押井作品の登場人物のパロディのような人名に意味はない(と、思う)。きっと、あまりに意味がないから、そういうところから持ってきたんだろうなあ・・・・。そうでもしないと、名前が覚えられないので、ストーリー展開する時に気遣いが必要になるもんなあ・・・・。 「人間に戦争の無い歴史はない。だから平和の維持のため、我々がビジネスとして戦争をしている」という考え方は、きっと登場人物達のクローン体に記憶を刷り込む時に流し込まれたものなのだろう。その考え方自体を思想として提示したものだと捉えると、思想信条の相違等の問題から、見えにくくなると思う。その思想が描きたいのではなくて、まあ、情け容赦ない観察として提示されているのだろうと思う。 押井監督は「攻殻機動隊」を撮っている時から一貫して、アイデンティティを形成している「ゴースト」(ソウル、かな?)の危うさを撮っている。草薙素子は言う。「囁くのよ。私のゴーストが」と。しかし、一方で、全身を機械化し、常に電脳をネットにつなぐ己のアイデンティティを信じられないでいる。しかし、実態から離れネットの中を漂う存在でしかなくなった草薙素子は、2作目「イノセンス」では、大量生産された愛玩用ロボットの中に降りてきて、「バトー、私は何時も貴方の傍にいる」と言う。その在り方は、「スカイ・クロラ」で描かれた登場人物達と真逆だ。 肉体を介さないところにある意志と、意志のない肉体。 ラスト、カンナミ・ユーイチは「Kill My Father」と言って、単機で無敗の敵機に戦いを挑む。その敵機に乗る人物は"ティーチャー"と呼ばれているが、全く人物像が描かれていない。だが、この世界で只一人意志を持っている生臭い人間は、その"ティーチャー"だけなのだ。まあ、拙者が想像するに、自分の精子か遺伝子をパラ巻いて"キルドレ"と呼ばれる戦うだけの存在の若者を作り出し、そして殺すという、まあ、普通には理解しがたい「大人」。それが理解しがたい存在として、この世界に圧倒的な存在感を示している。でも、「大人」の理屈とは、大体がそういう理解しがたい意志なのだ。 死んでもまた、同一の遺伝子を有したものが現場に帰ってくる、代理戦争を続ける世界。この世界の設定は、クローンには人権は保障されていないのかな?「私が死ぬか、貴方が死ぬかするまで、この世界は終わらない」とクサナギ・スイトはカンナミ・ユーイチにいう。カンナミ・ユーイチはラスト近く、クサナギ・スイトに言う。「何かが変わるまで、君は生きろ」と。この世界の不条理な設定や、謎を探っているとこの作品が持つ意図は絶対に理解できない。 だって、今だって同じじゃん。戦争の中で無くったって、みんなの人権は保障されているのかな?私は私であるという意志を有しているのかな?私の脳内に、ゴースト(ソウル)は存在しているのかな?訳の分かんないルールのもとで、単にゲームに参加しているだけじゃないの?そして、時には冗談のように、命を落としたりしてるじゃん? そういう、絶望というよりは諦念が支配する世界の中で、じゃあ何が希望として残るのか? 押井監督は作品ホームページに「何者かになるということは、世の中に対して確固としたリアクションを起こす人間になるということ」と書いている。まさに、この作品の意図はそれで、「何者でもない存在が、虚無の中から、絶望の中から、何物かになろうとする」、その意志の萌芽が砕かれる様と、実は(特に女達の中で)静かな炎が消えていない様を、淡々と描いている、ということになると思う。 ラストのラスト、「君を待っていた」と言う台詞には、ちょっと感動した。 まあ、後、余計なことを言うと、「ポニョ」がセル画オンリーで描いたことの真逆で、アニメとポリゴンの先端を上手くミックスした手法に拘っているところは凄いと思う。 繰り返し見るとは言わないが、良く撮った、と言いたい。 スカイ・クロラ [DVD]
by jazzamurai
| 2009-04-18 03:25
| 無脈絡 漫画三昧
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